人気ブログランキング |

帽子作りました

あっという間に6月。梅雨ですね。
湿気で髪の毛がうねったり膨らんだりしますよね。あれ困る!
パーマをかけていた頃はまあまあ扱いやすかったので、またパーマかけようかな~?
髪の毛って見た目の印象を結構大きく左右すると思っているので、なるべくならより印象が良くなるような髪型にしたいのですが、長いこと同じ顔で生きているのにいまだに自分の顔とライフスタイルに合う髪型の最適解が見つかりません。この間は「私ね~、(石田)ゆり子になりたいんですわ」と美容師さんに言って薄く失笑されましたよ。ゆり子がだめなら(大久保)佳代子でもいいんですけどね。髪型の話ね。

それはともかく。
帽子を作りました。
三島のsoraさんに置いて頂いていますので、soraさんにお立ち寄りの際には、よければお手に取ってご覧になって、お試しいただけると嬉しいです。
思うとおりにならない髪型をなんとかカバーしてしまいたいときなどにも多分役立ちます。
a0213793_15545714.jpg
リネンのベレー2種 いずれもMサイズ(右側のものはsoldout)と
a0213793_15545198.jpg
ペーパークロスのマニッシュなハット(Lサイズ。内側にあるサイズ調整紐で少し小さくもできます)。

雰囲気のある写真はsoraのオーナー、順子さんが撮ってくださいました。さすがです。
soraさんでは、明日、15日(土)~ 加藤かずみさんの美しい器の展示会が開催されますので、ぜひお出かけください。



# by vitablommor | 2019-06-14 16:12 | 帽子 | Comments(0)

久能山東照宮夜間特別拝観

日光東照宮は全国的にも有名ですが、こちら静岡も德川家康ゆかりの地ということで、久能山東照宮という神社がございます。日光の東照宮に比べるとかなりこじんまりとした規模ではありますが、社殿は国宝になっていたり、海のすぐそばの高台にあるので眺めがよかったりして、こちらでは景勝地として知られております。
深夜にテレビを見ていたら、その久能山東照宮のライトアップイベントのCMが流れて、ずいぶん綺麗だったので行ってきました。

イベントの正式名称は久能山東照宮夜間特別拝観『天下泰平の竹あかり』だということです。
a0213793_08152832.jpg
a0213793_08153109.jpg
竹を様々な形にくりぬいて、中にLEDライトを入れたものを境内の各所に設置して、幻想的なあかりの演出がなされていました。

6月末まで、土日のみ。1日800名限定のイベントなので、天気予報を睨みつつ前日までに前売りチケットを買っておくのがよいかもしれません。
ちなみに私は当日4時ごろ行って現地で買えましたが。でも残り3枚でしたと言われましたよ。

チケットはロープウェイ乗車券と拝観券と久能山資料館(博物館?)入場券のセット券のみ。
資料館では德川歴代将軍名宝展として、各将軍の甲冑がずらり15人分並べて展示がしてありました。「戦がない世の中でも甲冑はそれぞれ作っていたんだなあ」とか、吉宗公の甲冑は兜飾りが竜で「暴れん坊感でてるわ~」とか、それなりに楽しめました。
その展示を記念しての顔はめパネルがロープウェイ乗り場にあったのですが、そのアピールが↓こちら
a0213793_08150552.jpg
推しの強さ~www

これだけ推すわりに、トイレの前の「隙間」って感じのスペースにぎゅうぎゅうに設置してあるんですよね。一体どういう扱いなんだ。

顔はめ写真を撮らずに帰ってきたことが心残りです。
はめていくべきだった!
これから行かれる方はぜひ!記念に!はめていって下さい!



# by vitablommor | 2019-06-05 08:32 | おでかけ | Comments(0)

雑記

今日は島原「いのりの日」なんだそうです。
雲仙普賢岳が噴火し、大火砕流によって多くの犠牲者が出たのがこの日で、その災害を忘れないようにという思いで、島原市が制定したとのことです。
あれはたしか91年。
そんでもってその4年後の95年に阪神淡路大震災。
同じ年の3月には地下鉄サリン事件。

子どもの頃、はっきりと死を意識して恐れていたものと言えば「ノストラダムスの大予言」くらいでしたが、90年代以降、自分が大人になったこともあってか、どこで何が急に起こってどうなるかなんて全くわからない、どこにいても絶対安全はないんだって思い知らされるような出来事を、沢山見聞きするようになりました。

防ぎようがない。
気をつけようがない。

先日起こった通り魔事件にも本当にびっくりしました。
犯人は包丁を2本持って無言で走ってきて、無関係な人たちを次々に刺して、その後あっという間に自分の首を刺して死んでしまったんだそうです。

「周りを巻き込まないで一人で死ねよ」
ってツイートが沢山書き込まれて、それに対して
「そういう書き込みはやめたほうがいい」
って注意する人がいて、またそれに対して
「じゃあ周りを巻き込んでいいって言うのか?!」
という・・・ネット上でそんな感じの応酬があったみたいです。(yahooニュース)

これについて思ったことを今日は書きます。(個人の主観を書きたいだけなので、興味のない方はスルーで)

あの事件が起こった時に、それをニュースで知った私たちにはいくつかの感情が同時並行的に湧いてきたと思うんです。
まず単純にびっくり。驚きの感情。
それから亡くなった方、そして突然大事な人を理不尽に奪われたご遺族の方を悼む気持ち。
その場に居合わせてけがをした子や、けがをしないまでも惨劇を目撃してしまった子供たちの心の傷を心配する気持ち。
犯人に対する怒りの気持ち。
なぜ?と疑問に思う気持ち。
特に子どもを持つ親御さんは、こんなの気をつけようがない、でもこれから毎日100%子どもにつきそって…なんてことも現実的ではないし、、、という、恐怖と不安と葛藤。
などなど。
様々な混乱した感情。
それと、なぜ?という疑問から、今後こういう理不尽な犯罪をなくすにはどうすればいいのか?ということを考えた人も、きっと多かったと思います。


「周りを巻き込まないで一人で死ねよ」
って、いうのは、犯人に対する怒りですよね。これ、多分、犯人が自殺したって聞いた時、結構多くの人がつい思ったんじゃないかと思うんですよ。実を言うと私も思いました。もうほとんど反射的に思った、という感じで。
どうせ死ぬんだったら自分ひとりで死ねばいいじゃん。なんで他の人を巻き込むの?!って。
それを、テレビを観ながら家族に言う分には特に問題ないのかな、って思います。
友達と会ったときに会話の中で、とかも。
理不尽な殺人事件を起こした犯人に対して、怒りを覚えるのは当然のことだし、その感情は吐露したくなる。わかる。

ただそれを全世界発信することは、ちょっと考えた方がいいのかもしれない、って思うんですよ。

「そういう書き込みはやめたほうがいい」っていうのは、それなんだと思います(指示語ばっかでわからんわ)。
有名人でもない限り、自分の投稿に「いいね」したりコメントする人ってそこそこ限られているから、つい「身内感覚」で発言しがちですけど、ツイッターもインスタグラムも「全世界発信」なんですよね。鍵かけてないかぎり、誰でも見られる。
例えて言えば、ちっちゃな部室で5人ぐらいの仲間に喋っているつもりのちょっと毒のある話が、実は校内放送、それどころかFMラジオくらいの規模で、あなたを知ってる人にも知らない人にもみーんなに聞かれちゃってますよ、みたいな。
偶然にも聞いちゃった人の中には、喋った人やその仲間とは置かれている境遇も感覚も全然違う人が当然いて、同じ言葉でも全く違った受け取り方をされたり、思いもよらない作用を引き起こす可能性がある。
「死ね」なんて、攻撃的で強い言葉ですから、特に。

こういうことを書くと誤解されるかもしれないですが、犯人の境遇(親を亡くして親戚に引き取られて、そこの家の子どもとは差別されて育ったとか。引きこもりだったとか)がよくメディアで言われていますよね。だからといって犯罪を犯す理由には全くならない。同じような境遇で育った人でも、そうならない人がほとんどだと思います。
で、ですが、もしも同じような境遇で育って引きこもりで苦しんでいる、犯罪者ではない人がいたとして、『ノンフィクション』的なドキュメンタリー番組か何かで取り上げられたとしたら、みんなきっと同情しますよね。そして多分、その人に自分を重ね合わせたりする人もいるでしょう。自分も同じだと。
だとすればもしかしたら、犯人とどこか似た境遇であると自分を重ねてしまう人、今とても苦しんでいて、誰かに助けてほしいけど助けを求められず、もう死んでしまいたいでも本当は死にたくない、というような状態でもがいている人がいたとして、そういう人に届いた時の「一人で死ね」は、もしかしたら発した人の思いとは違った形で突き刺さるかもしれないって思うんです。その人に言ったわけじゃなくても。世の中には自分を助けてくれる人はいないだろうと、社会に適応できないならひっそりと死ねと言われているんだと。
そんな風に、人が周りに助けを求められず、孤独を抱えたまま苦しむ人が増えていく世の中は、多分誰にとっても望むものではないはずですよね。そんな社会が幸福でも安全でもあるはずがないじゃないかって思います。

全世界発信じゃなくても、言葉って、自分では思ってもいないところで人を傷つけている場合があるじゃないですか?
そんなつもりで言ったんじゃないのに、とか、その人のことを言ったわけじゃないのに、とか。まったく自分が意図しない形で意図しない人に受け取られてしまって、困惑した経験のある人は多いと思います。
言葉は、時にヤバいんですよ。特に毒のある言葉は強いですから。


そんな感じのことを「そういう書き込みはやめたほうがいい」って言う人は、言いたかったんじゃないかなあ?
それは、感情の話というより、「今後どうすればいいんだろう?どうすれば防げる?社会はどんなふうに変わっていけばいいのか?」って、そっちの方の話であって。
だからそれに対して「じゃあ周り巻き込んでもいいって言うのか?!」という感情をぶつけても、話が通じ合わなくて当たり前なんですよね。周りを巻き込んでもいいなんて、そんなこと思ってる人がいるわけないじゃん。わかるじゃん。

もちろん怒りの感情が悪いわけではなくて。
誰だってこんな事件は許せないと思っているわけで。
でもその怒りの感情の源泉をたどれば、それは亡くなった方への同情や、愛から来ているのに。
うんうん、って通じ合える人以外に届くときには、ネガティブ感情しか残っていない場合もあるんですよね。
そういう話なんだが。

昨夜テレビを見ていたら、そのツイートに対しての「賛成派」「反対派」を呼んで議論させるみたいなことをやろうとしていた番組があったようなので(見なかったので内容はわからないのですが)、なんか、何を不毛なことをしようとしているんだろうと思って、私なりの考えを書いておきたくなりました。

長い話にお付き合いいただいてありがとうございました。







# by vitablommor | 2019-06-03 11:34 | ひとりごと・日常 | Comments(6)

小泉今日子の存在感

『わたしの16歳』という歌でアイドルデビューした小泉今日子さんを初めてテレビで見た時に、なんでかはわかりませんが、この人は、こんな髪型(いわゆる聖子ちゃんカット)もこんなワンピース姿も、本当は不本意なんじゃないかなあ?と思ったことを憶えています。
何でそんな風に思ったんだろうか?
ともあれキョンキョンは、その後既存のアイドルの殻を自ら打ち破って、今も魅力的な女優さんとして活躍中です。


主人公ナスミ役を小泉今日子さんで当て書きされた本。で、間違いないです。

さざなみのよる

木皿泉/河出書房新社


NHKで以前放送された『富士ファミリー』というドラマの続編、というか、時系列から言うとその前のお話。
ドラマの中ではもう鬼籍に入っていた次女の『ナスミ』が入院して息を引き取るまでが導入部となり、その後は視点が変わって、まだ元気だったころのナスミとちょっとずつ関わりを持った人たちを通して見えてくる、ナスミの人生。そしてナスミによって変わったり救われたりした、その人たちそれぞれの人生。
独立した短編で繋がっていく形式の小説です。

木皿泉さんはドラマ『すいか』で向田邦子賞を受賞されたそうなんですが、そういえば木皿作品には、昭和の匂いのする家がよく似合う。
人間の持つどうしようもない弱さだったり情けない部分を愛おしむようなところとか、人生を進むうえでは、悲しさとかさみしさとかも全部抱えていくしかないじゃない、って、強がるでもなくしっかりと腹に収めているような感じとかも、向田作品に通じるものがあるのかもしれません。なんつって、向田作品はエッセイ含め数冊しか読んだことないんですが。

小泉今日子さんは、その『すいか』にも、3億円横領して逃亡中の、主人公(小林聡美さん)の元同僚、という役どころで登場しています。
日常の少し外側にいて、日常の中で閉塞感や挫折感を味わっている人たちが、何かの折に少しずつ思い出す。この世にいなくなってからも(いや『すいか』では生きてるけども)登場人物の胸の中にものすごく大きな存在として残っていて、時々その思い出が背中を押してくれる、という独特な存在の役を、木皿さんはいつも小泉さんに託しているなあと思います(多分脚本の時点で当て書きしているはず)。しかしこれがまたピッタリはまるんだぁ。
明るいけどその裏にちょっと寂しさがにじむところとか、ちょっとはすっぱな雰囲気とか、人を赦すやさしさのある感じとか、潔さとか。
まあ結局演技が上手いからなんだろうけど、観ている方が何か、この人の存在そのものって感じてしまうくらいのはまり方をしているなあと、木皿泉作品で小泉今日子さんを見るたびに思います。

そんなわけでこの本を読むときも、ドラマのキャストを脳内に降臨させつつ読み進めました(小説が初出の人については適当にキャスティングした)。
ちなみにテレビドラマでのキャストはナスミの小泉今日子さんの他、長女の鷹子を薬師丸ひろ子さん、三女の月美がミムラさん、ナスミの夫は吉岡秀隆さん、笑子バアサンはなんと片桐はいりさんでした。寺内貫太郎一家の樹木希林さん的で、こんなところにも昭和のファミリードラマへのオマージュを感じさせますね。

そんなにボリュームはないので2時間くらいで読めますが、なんだかじわじわ来てティッシュ12枚くらい使いますのでご準備ください。

例えば何のとりえもなくて才能もなくても、人はその存在だけで、人とのかかわりの中で知らず知らず光を放つのだと。人と出会って、別れて、またその出会いと別れが次につながっていって、そういうリレーみたいな、連鎖するものが人生で、だからどんな人も「いてよし」「生きててよし」。
そんな深くて強い、温かな肯定を感じる、木皿泉らしい作品でした。と、まとめてみる(笑)

いい本でした。おすすめです。

# by vitablommor | 2019-05-31 09:36 | 本・CD・DVD | Comments(0)

読了

かがみの孤城

辻村 深月/ポプラ社


ははは。読了してしまいました。
他にやらなきゃいけないこと、後回しになってしまいました。
昼食の時に、最初の方だけ・・・とぱらっとめくったらいつの間にか残り50ページくらいになっていたので、もう一気に読んでしまいました。面白かったです。2018本屋大賞。

主人公の部屋にあった鏡が、ある日キラキラと光り出して、ふと手をかざしたら鏡を通り抜けて向こう側の世界に行ってしまう。
鏡の国のアリスのようなこんなファンタジーは、物語の土台となる最初の仕掛け部分の嘘くささを消すのが難しいよなあと思います。この本でもそこの部分がちょっと、大人になって世間ずれした私(笑)には、ハードル高かった。
ナルニア国やアリスなら、時代も国も違うのであまり違和感なく入れるんですけどね、現代の日本の話と思うとなぜかちょっと違和感を感じてしまいますねー。日常の中のファンタジーって難しい。

でも、慣れてしまえばそこはそれほど気にならなくなりました。鏡の中の世界に隠された仕掛けも途中からなんとなくわかっちゃうんだけれど(何しろ世間ずれした大人だから)、それ以外の部分に興味がどんどん惹きつけられていくので、そこは問題としないで読めました。
こころ、アキ、マサムネ、スバル、フウカ、リオン、ウレシノ。7人の少年少女それぞれの傷やどうしようもない事情を、どう癒していくのか、どう解決していくのか、そこの部分に嘘っぽさは感じなかった。伏線の回収も、後日談的なラストも見事だと思いました。

鏡の中の世界に『招待』された7人は、中学に通えなくなった(ほとんどが人間関係による心理的な理由で)子供たち。
私はこの物語に大人になってから出会ったけれど、主人公たちと近い年代で同じように学校での人間関係にいきづまっている子供が読んだらどんなふうに思うんだろうなあ、とつい考えてしまいました。
私だったら辛いって思うだろうな。どうして私はその世界に行けないんだろう、私には救いの手が差し伸べられないって思うだろうな~。
とはいえ。
それでも、もしかしたら、この物語は子どもたちの救いの物語にもなり得るのかもしれない。

ずっと中学生でいるわけじゃない。生きて大人になったら、世界はもっと広がるし、出会える人のバリエーションも増える。「普通」の範疇も、ずーっとずーっと広くなる。そして今でも、自分の気持ちを言葉にして伝えることが出来たら、助けの手は案外近くにあるかもしれない。そんなことに、気づく子どももいるかもしれません。
そうあってほしいと思います。

それにしても子どもの世界の残酷さと未熟さは、基本的にいつの時代も変わらないものですね。
みんな頑張れ。






# by vitablommor | 2019-05-28 07:20 | 本・CD・DVD | Comments(10)

コサージュや布雑貨の製作、販売をしています。 


by vitablommor
プロフィールを見る
更新通知を受け取る